日記を書くだけなら、
ボールペンでいい。
手帳のメモも、
ボールペンで十分だ。
そう思うのは、とても正しい。
書ければいいのだから、
道具は何だっていい。
理屈としては、その通りだ。
ただ、少しだけ聞いてほしい話がある。
あなたは、朝から晩まで
気を張って戦ってきた。
理不尽な要求に耐え、
上と下の板挟みに耐え、
それでも仕事は完璧に仕上げてきたはずだ。
その手には、ずっと
ボールペンが握られていた。
ぎゅっと、強く。
家族が寝静まり、
家全体がすとんと静かになった、
夜の机。
ようやく一人になれたその場所で、
自分と向き合うために、
あなたはまた同じボールペンを握る。
僕は、それが
少しだけ、もったいないと思う。
なぜなら——
ボールペンは、あなたに
「力む」ことを強いる道具だから。
昼間ずっと力んできた手に、
夜もまた、力むことを求めてしまう。
それでは、心はいつまでも
休まらないのではないだろうか。
① 摩擦に打ち勝つボールペンと、自然に流れる万年筆の「構造」
ボールペンの書き味は、
実によくできている。
あの小さな金属の球が回転して、
粘り気のあるインクを紙へ塗りつけていく。
ただ、ここに一つ、
見落としがちな事実がある。
粘度の高いインクを紙に乗せるには、
ペンを紙へ「押し付ける力」が要る。
つまり、筆圧だ。
ボールペンは、構造上、
押し付けなければ書けない道具なんだ。
これは、欠点ではない。
揺れる電車の中でも、
何枚も重なった複写伝票でも、
雨で湿った紙の上でも、
確実に線を引ける。
押し付ける力こそが、その強さだ。
昼間のあなたが、多少の無理を承知で、
確実に結果を出してきたのと、どこか似ている。
要するに、ボールペンは
「戦いの道具」ということだ。
摩擦に打ち勝ち、
押し付け、
ねじ伏せて、
理不尽だと思える状況でも
線を残す。
一方、万年筆は、
まるで逆の思想でできている。
万年筆がインクを送り出すのは、
毛細管現象(細い隙間を、液体が
ひとりでに進んでいく現象)による。
毛細管現象については、
↓こちらの記事を確認していただきたい。

ペン先の細い溝を伝って、
インクが重力に逆らいながら、
自ら紙へと降りてくる。
だから、押し付ける必要がない。
紙に、ただ触れるだけでいい。
押し付けて戦う道具から、
触れるだけで流れる道具へ。
この物理的な「無負荷」こそが、
一日中、波風を立てまいと
感情を抑え込んできたあなたの手を、
そして心を、
静かにほどいていくのだと思う。
② 「握り込む」から「添える」へ。力みを手放す所作
道具の構造は、手の形を決める。
細いボールペンでしっかり書こうとするとき、
あなたの指は自然と強く曲がり込む。
親指と人差し指で、ぎゅっとつまみ込む。
「つまむ力」を、ずっと維持することになる。
その手の形は、どこか身構えている。
警戒し、力を込め、
失敗しないように支配しようとする。
昼間のあなたの、心の形そのものだ。
万年筆は、その手の形を、そっと変えてくれる。
適度な太さのある軸は、指を握り込ませない。
たとえば、
PILOTのキャップレス(特にLS)のような一本は、
金属の軸にしっかりとした重みがあり、
その重心はペン先の側にある。
強く握らなくても、ペン自身の重みが、
そのまま紙へと下りていってくれる。
そんな万年筆のボディ設計に関して、
↓こちらでは、シャルパンティエ効果と
人間工学的な視点から紐解いている。

だから、あなたがすることは、握ることではない。
ペンの重みに、そっと手を添えるだけ。
力を「入れる」のではなく、力を「添える」。
それでも、ちゃんと書ける。
不思議なもので、手のひらの力をゆるめると、
脳のスイッチも少しずつ切り替わっていく。
身体がゆるめば、心も、つられてゆるむ。
ペンに手を添えるという所作は、
「もう、完璧に頑張らなくていい」と
自分に許しを出す、小さな儀式なのだと思う。
一日中、握りしめてきた拳を、
ようやくそっとほどくように。
③ 油性ボールペンの「ボテ」と、万年筆の美しい「濃淡」
ボールペンは優れた筆記具だと書いたが、
僕は油性ボールペンの嫌いな部分がある。
油性ボールペンは、回転する小さな球で、
インクを紙へ送り出している。
そのとき、紙に移りきらなかったインクは、
少しずつペン先の縁に溜まっていく。
そしてある瞬間、黒い小さな塊となって、
ぽつりと紙に付着する。
いわゆる「ボテ」だ。
僕は、書いている時から気になってしまうが、
気づかないことも多いのかもしれない。
けれど後で読み返すと、
文字の脇に、意図しない黒い点が滲んでいる。
あれは、あなたの書き方が
悪いから出るのではない。
ていねいに、ゆっくり書いたときにも、
ボテはあらわれる。
粘度の高い油性インクを、
小さな球で送り出すという、
道具の仕組みそのものが生む「ノイズ」だ。
そこには、あなたの呼吸も、
感情も映らない。
残念ながら、美しさもない。
万年筆にも、
均一ではない部分は生まれる。
筆圧の強弱や、手を動かす速さによって、
インクの乗り方が変わる。
線の始まりと終わりで、
色の濃さがわずかに違う。
ときに、とろりとインクがたまる。
けれど、これはボテとは、
まったく違うものだ。
これは汚れではなく、濃淡。
あなたの呼吸が速くなった場所。
ふと手が止まって考え込んだ場所。
感情が小さく揺れた場所。
その一つひとつが、そのまま紙の上に、
色の濃さとなって残る。
とりわけブルーブラックのインクは、
この濃淡を、静かに美しく見せてくれる。
濃くたまったところは深く沈み、
薄く流れたところは澄んで見える。
僕は、ブルーブラックのインクが好きだ。
それはなぜか?
↓こちらの記事を、ぜひ読んでいただきたい。

うまく書こうとしなくていい。
きれいな字でなくていい。
あなたの手が動いたそのままが、
濃淡という必然の美しさになる。
インクのフローは、
感情のフローだ。
その日の心の揺らぎを、責めるのではなく、
そのまま紙に置いて、赦してやればいい。
万年筆は、それができる道具なんだ。
④ 使い捨ての毎日から降りる。「育つ」一生モノという選択
ボールペンは、インクが切れれば捨てる。
それが当たり前だし、何も間違っていない。
使い切って、また新しいものを買う。
合理的な「消費」だ。
ただ、あなたの毎日は、もう十分すぎるほど
「消費」でできているのではないだろうか。
消耗し、
すり減り、
また補充して、
翌朝にはまた消耗する。
その繰り返しの中で、
手元の道具までもが使い捨てだとしたら——
それは少しだけ、寂しい。
万年筆は、そこから静かに降りる選択肢をくれる。
ペン先の、いちばん先端。
紙に触れる小さな粒(ペンポイント)は、
何年も書き続けるうちに、少しずつ削れていく。
削れて、あなたの書く角度に、
あなたの書く癖に、ゆっくりと馴染んでいく。
とりわけ金のペン先は、
金という金属のしなやかさゆえに、
使い込むほど、
あなたの筆致に寄り添うように
たわみ方を変えていくと言われている。
↓詳しくは、こちらの記事に書いてある。

つまり万年筆は、消耗するのではなく、育つ。
僕はかつて、家具を設計していた。
無垢材の一枚板も、これとよく似ている。
使い込むほどに色艶を深め、
その家で過ごした時間を吸って、
世界に一つだけの表情になっていく。
道具が育つというのは、そういうことだ。
買った日がいちばん良いのではない。
使い続けた分だけ、
世界でいちばん自分の手に優しい一本になっていく。
これは、消費の対極にある。
一日中、誰かのために
自分をすり減らしているあなたが、
たった一つ、自分と一緒に育っていく道具を持つ。
それは、甘やかしでも、贅沢でもない。
長く使うほど価値を増す一生モノを選ぶことは、
大人の、極めて理にかなった自己投資だ。
自分のために、良い道具を持っていい。
その理由なら、ちゃんと、ここにある。
そして、商品開発に携わってきた身として
一言言いたい。
一つの商品を世に出すに過程において、
様々な試行錯誤、軋轢や葛藤、
そして、喜び。
そんな多くの感情が入り混じり、
想い入れが生れる。
それは、どんな商品でも同じだ。
だからこそ、長く使って欲しい。
万年筆を世に送り出した人々も
きっと同じ想いなのだと思う。
おわりに——夜の15分だけは、自分のために
昼間は、ボールペンでいい。
理不尽な会議も、
終わらないタスクも、
押し付けて、
ねじ伏せて、
確実に片付けていけばいい。
そのための「戦いの道具」を
強く握りしめて戦うあなたを、
僕は、立派だと思う。
でも、夜は——
一日の戦いを終えて、
照明を少し落とし、
扉を閉めて、
ようやく一人になれた夜の机では——
その手から、力を抜いてほしい。
ボールペンを置いて、
万年筆のペン先を、
ゆっくりと、紙の上に呼び出す。
そして、握るのではなく、そっと手を添える。
たった15分でいい。
今日あった、小さな出来事を。
うまく表現できなかった、感情を。
誰にも言えなかった、本音を。
うまく書こうとしなくていい。
ただ、添えるだけでいい。
力を手放して書くその時間が、
昼間ずっと力んできたあなたを、
少しずつほどいていく。
一日の澱みを静かに紙へ置いていくうちに、
強張っていた心の輪郭も、
また少しずつ整っていくのだと思う。
昼は、誰かのために、
夜の15分は、自分のために。
リンク先: (キャップレス等の商品ページ、または書く習慣・字幅の選び方の記事)
挿入の狙い: 記事を読み終え、最も心が動いている瞬間に、「今夜から安全に決壊するための道具」として、具体的なアクション(万年筆の検討や、ジャーナリングの方法論)へとそっと背中を押します。
その小さな時間が、
すり減ったあなたを、
もう一度、凛とした自分へと戻してくれる。
少なくとも、僕は、そう信じている。

コメント