万年筆は、強く紙に押しつけなくても
インクが流れ、文字を書くことができる。
その仕組みを支えているのが「毛細管現象」だ。
ペン芯に設けられた
非常に細いインク溝を通って
インクはペン先まで運ばれる。
そして、紙に触れると
紙の繊維の細かな隙間にも、毛細管現象が働いて、
インクが紙へ移る。
ただし、安定して書き続けることができるのは、
毛細管現象だけではない。
使ったインクと入れ替わる
「空気の交替作用」も欠かせない。
この記事では、その小さな物理現象が、
なぜ、万年筆の軽い書き味を生むのかを
書いていこうと思う。
ところで僕は、この仕組みを知ったとき、
少し不思議なことを思った。
万年筆は、「力を加える」のではなく
「流れる仕組み」を設計している道具なのだ、と。
毛細管現象と、極細の「隙間の設計」

毛細管現象(もうさいかんげんしょう)
という言葉を、
理科の授業以来聞いていないという人も多いと思う。
そんな言葉を習ったことすら、
忘れてしまっている人がほとんどだろう。
簡単に言ってしまえば、
細い管の中を、液体が重力に逆らって
自ら上昇していく現象のことだ。
身近なところでは、
細いガラス管を水に差すと、
管の中の水面が周囲より高くなる。
また、紙や布に
水がじわじわと染み込んでいくのも、
毛細管現象によるものだ。
万年筆のペン先には、
中央に一本の細いスリット(切り割り)が入っている。
このスリットは、
ペン先の根元にある小さなハート型の穴
(一般的にはハート穴と呼ばれているが、
円形の穴の方が多い)から、
ペンポイントと呼ばれる紙と触れる先端まで、
一本の線のように続いている。
ペン先には、インクを先端へ導くための
非常に細いスリットが設けられている。
パイロット社では、ペン先の製造工程で
0.14mmのカッターを使って切り込みを入れるという。
※出典:『万年筆のバイブル』81頁
こうした細い隙間や、
ペン芯に設けられたインク溝に
毛細管現象が働くことで、
インクはペン先へと運ばれていく。
そう、この細いスリットが、
上記した細い管の役割をはたす。
インクはこのスリットを自ら進み、
重力に逆らって、ペンポイントまで運ばれていく。
インクは、単に重力によって
ペン先へ落ちているわけではない。
ペン芯の細いインク溝や
ペン先のスリットに働く毛細管現象によって、
ペン先まで導かれている。
そしてペン先が紙に触れると、
紙の繊維の細かな隙間にも毛細管現象が働き、
インクが紙へと移っていく。
つまり、書き手が強い力を加えなくても、
インクが自然に流れる仕組みが、
万年筆の中には設計されている。
その極細の隙間は、
ただの飾り(意匠)ではない。
インクを自然に流すために、
緻密に計算された「設計」だ。
意匠と設計の違いは
↓こちらの記事で詳しく書いている

万年筆とは、そういった緻密な設計を
集約した道具だ。
ちなみに、ハート穴には別の役割もある。
ペン先がしなる時に生じる金属疲労を、
一点に集中させずに逃がすための
「逃げ穴」でもある。
ハート穴に関しては、
こちらの記事で詳しく書いているので、
合わせて確認してほしい。

力を逃がす設計。
思えば、職場でも同じことがある。
理不尽な言葉をぶつけられた時、
真正面から受け止めようとすると、いつか折れる。
うまくやれている人は、どこかで力を逃がしている。
聞き流す、というと語弊があるが、
一点に集中させない術を、
無意識に持っているように感じる。
力まなくていい。ただ、触れるだけでいい。

ボールペンは、摩擦の道具だ。
油性インクをペン先の金属ボールを経由して
紙に擦りつけることで、文字が生まれる。
そのため、ある程度の筆圧が必要になる。
紙に押しつける力がなければ、インクは乗らない。
そうは言っても、
それほど強く押し付ける必要はない。
しかし、精神的に力んでいる時は、
必要以上にペンを強く握って、
紙に強く押し付けているように感じる。
一方、万年筆は違う。
毛細管現象によって、
インクはすでにペンポイントまで運ばれている。
紙に触れた瞬間、
毛細管現象の均衡が崩れ、
インクが自然に紙へと移っていく。
力はいらない。
ただ、紙に触れるだけでいい。
僕が福祉の現場にいた頃、こんなことを学んだ。
言葉を引き出そうと前のめりになればなるほど、
相手は黙ってしまう。
「どうしたんですか」
「何が辛いんですか」と畳み掛けても、
心の扉は開かない。
ただ、隣に座って、静かに待つ。
その人のペースに合わせて、ただそこにいる。
そうすると、不思議なことに、
言葉は自然に溢れ出してくることもある。
万年筆が紙にインクを流す仕組みと、
これはどこか似ていると思う。
力んで引き出そうとするのではなく、
ただ触れることで、自然に流れ出す。
日々、力み続けているあなたに、
万年筆はそっとこう言っている気がするんです。
「もう、そんなに力を入れなくていい。
ただ、紙に触れるだけでいい」と。
思考も感情も、力んで引き出すものじゃない。
ただ、ペンを持って、紙に向かう。
それだけで、言葉は静かに、自然に流れ出てくる。
自分をすり減らさないための「装置」

万年筆とは何か、とあらためて考えてみる。
筆記具だ。
当たり前のことだ。
でも、それだけじゃないと思っている。
毛細管現象という物理法則を設計の中に組み込み、
書き手が力まなくても書けるようにした道具。
それは、力み続けることに
慣れすぎてしまった僕たちに向けた、
ある種の「処方箋」だと感じる。
一方、ボールペンで書き続けることは、
日々の仕事に似ている。
力を入れなければ前に進まない。
摩擦に勝ち続けなければ、何も残らない。
でも、家に帰ってまで、力み続ける必要はない。
万年筆を手に取り、紙に触れる。
ただそれだけで、インクは流れ出す。
思考も、感情も、一緒に流れ出す。
それは、力むことをやめ、
自分の内側を静かに紙に定着させるための
「自己回復の装置」だ。
毛細管現象は、細い管やわずかな隙間の中で、
液体を自ら移動させる。
私たちの中にも、そういう隙間を作る必要がある。
疲れ切った一日の終わりに、
万年筆を持ってノートを開く。
その小さな隙間。
その隙間さえあれば、言葉は自然に流れ出す。
力まなくていい。
ただ、触れるだけでいい。
万年筆は、そういう設計になっているんです。
万年筆の機能美をまとめた記事は
↓こちら



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