努力を「習慣」に変えるらせん階段。1行の言語化が人生の取扱説明書になる日

目次

マスを塗りつぶす「だけ」では、いつか壁にぶつかる

前回の記事で、
「方眼ノートのマスを塗りつぶす」
という記録方法を紹介した。

↓この記事だ。

あわせて読みたい
三日坊主は「努力が見えない」から起きる。脳を騙すアナログな記録術 なぜ僕たちは、自分の努力をすぐに忘れてしまうのか 新しいことを始めても、なぜか続かない。 ジャーナリング、運動、読書、英語学習。 最初の数日は、確かにやる気があ...

やった日はマスを塗りつぶし、
やらなかった日は空白のまま残す。

このシンプルな記録は、
ジャーナリングを「1行だけ」書く、
あるいはランニングを「1分だけ」するといった、
“極小の行動”を支えるためのものだ。

ここで、僕が考える
「継続」と「習慣」の違いを整理しておきたい。

「継続」と「習慣」は、別物だ。

継続は、意志の力を使って
意識的に続けること。

エネルギーを使うから辛いし、
長くは続かない。

一方の習慣は、
脳が「昨日と同じことだ」と認識し、
無意識に行っている状態。

努力がいらないから、自然に続く。

三日坊主になるのは、
意志が弱いからではない。

脳に「昨日と同じだ」と騙しきれず、
辛い「継続(努力)」の領域に
足を踏み入れたままにしてしまうからだ。

だからこそ、まずは
脳が「面倒だ」と感じる隙さえ与えないレベルまで
行動を小さくしてから始める。

これが、凛筆が提案する
習慣化のステップ①「小さく始める」だ。

しかし、ここで終わってはいけない。

人間は成長したい生き物だ。

1分のランニングや1行のジャーナリングを
一生続けるだけでは、
人生は再設計できない。

いつか必ず、行動を
「広げる(負荷を上げる)」必要がある。

そこで登場するのが、
ステップ②「行動し続けながら、育てる」だ。

だが、このステップ②に踏み出した瞬間、
多くの人がつまずく最大の壁が待っている。

負荷を上げると、脳は再び「努力(継続)」を要求してくる

ステップ②で行動を広げようとした瞬間、
何が起きるか。

一分のランニングを、五分に増やしてみる。

一行のジャーナリングを、五行にしてみる。

一文字のペン字を、五文字にしてみる。


その瞬間、脳が、強烈な抵抗を始める。

「昨日と違う!」
「面倒だ!」
「やめたい!」

無意識に行えていた行動が、
急に「努力が必要なもの」に変わってしまう。

習慣だったはずのものが、
一気に「継続」に逆戻りする。


これが、習慣化のステップ②における、最大の罠だ。

せっかく「習慣(無意識)」のゾーンに入れていたのに、
負荷を上げた瞬間、
また「継続(意志の力)」のゾーンに戻されてしまう。

そして、多くの人が、ここで根性論に頼る。

「気合いで続けるしかない」
「やり抜く意志を持とう」
「ここを乗り越えれば成長できる」


それで乗り越えられる人もいる。

しかし、ほとんどの人は、ここで挫折する。

なぜか。

根性論で「努力(継続)」のゾーンに居続けることは、
人間の脳の構造上、無理があるからだ

意志の力は、有限のリソースだ。

仕事で消耗し、
家庭で消耗し、
夜にやっと自分の時間が取れた頃には、
もう意志の力は残っていない。

そんな状態で「英単語を5個覚えるぞ!」
と気合いを入れても、続くわけがない。


ここで必要なのは、根性ではない。

負荷を上げた直後に脳が起こす抵抗を、
「処理する」仕組み
だ。

そして、その仕組みこそが、
凛筆の習慣化の真髄である
ステップ③「言語化することで磨いていく」だ。


挫折を消し去る「②行動」と「③言語化」のらせん階段

凛筆の習慣化の3ステップを、
こう思われるかもしれない。

①小さく始める

②行動し続けながら、育てる

③言語化することで磨いていく


しかし、これは正確ではない。

正しくは、こうだ。

①→②→③→②→③→②→③→②→③……

②と③を、何度も何度も往復するサイクルなのだ。

これは、らせん階段に似ている。

②で一段、行動の負荷を上げる。

すると、脳が抵抗する。

③で、その抵抗を言語化して処理する。

処理が終わったら、また②で次の段に進む。

また脳が抵抗する。また③で言語化する。


この往復こそが、
習慣化を「努力」から「自然」へと変換し続けるエンジンだ。


具体的に説明したい。

たとえば、英単語の暗記や、
ペン字の練習を始めたとする。

最初は、1日1個(1文字)から始めた(ステップ①)。

ここで、ステップ②に入る。

「明日から、1日10個(10文字)やろう」と、
負荷を上げてみる。


一日目。
10個覚えてみる。(10文字書いてみる)

「疲れた」
「思ったより頭に入らない」
(「思ったよりうまく書けない」)
「これ、意味あるのかな」

脳が、抵抗を始める。


ここで、根性論に走らない。

代わりに、ステップ③に入る。

ノートを開いて、こう書く。

「今日、英単語十個に増やした。
疲れた。
三個は覚えられたけど、
七個は記憶に残っていない感じがする。
少し焦りもある。」

事実と、感情を、セットで書き出す。


これだけでいい。

不思議なことに、書き出した瞬間、
脳のストレスが少し鎮まる。

「ああ、自分は今、こう感じていたのか」
「疲れたと感じることは、悪いことじゃないんだ」
「三個でも覚えられたなら、十分じゃないか」


頭の中でぐるぐる回っていた抵抗が、
紙の上に「外」として吐き出される。

すると、脳は「昨日と違う、面倒だ」という感覚から、
少しずつ解放されていく。

書き出して脳のストレスを外に出すことで、
脳のワーキングメモリ(作業領域)が
クリアになるからだ。

そして、また「これは自然なこと(習慣)だ」
という認識に戻っていく。

その状態で、明日も10個覚える。

さらに数日後、20個に増やしてみる。

また脳が抵抗を始めたら、
また③で言語化する。

この往復を続けることで、
負荷は少しずつ上がりながら、
それでも「努力」ではなく
「習慣」のゾーンに留まり続けることができる。


これが、凛筆の考える、
挫折しない習慣化の仕組みだ。

根性で乗り越えるのではない。

②と③を反復することで、
脳に「これは昨日と同じことだ」と
認識させ続けるのだ


感情の記録、それは「ジャーナリング」という自己理解の儀式

ここまで読んでくださった方の中には、
気づいた人もいるかもしれない。

ステップ③でやっていること
——「行動した結果、自分がどう感じたかを言葉にする」——は、
実は別の名前を持っている。

「ジャーナリング」だ。


ジャーナリングは、
よく「内省のための書く瞑想」と説明される。

日々の感情を、
誰にも見せないノートに書き出していく行為。

しかし、習慣化をする上でのジャーナリングは、
こういうことだったのではないかと、僕は思っている。

ジャーナリングは、
行動の負荷を上げた時の脳の抵抗を、
言語化して処理する技術
だ。


「今日は、◯◯をやってみた」という事実。
「やってみて、◯◯と感じた」という感情。

この二つを、セットで書き続ける。


最初は、ただの記録に見えるかもしれない。

しかし、これを数週間、数ヶ月と続けていくと、
ある変化が起きる。

「自分は、どんな時に疲れを感じるのか」
「自分は、何があると元気が出るのか」
「自分は、どういう負荷の上げ方が向いているのか」

自分自身の取扱説明書が、
少しずつ完成していく


そして、その自己理解は、
ある日、揺るがない「信念」へと姿を変える。

「自分は、こういう人間だ」
「自分は、こうありたい」
「自分は、これを大切にしたい」

最初は、ただの大きな木の塊のように、
ぼんやりとした輪郭しか持たなかった自己像。

しかし、書き続けるという行為は、
彫刻家が木を一彫りずつ削り出していく作業に似ている。

「自分は、こういう時に疲れる」と書く
——これが、一彫り。

「自分は、こういう時に嬉しい」と書く
——これが、また一彫り。

言葉にするたびに、
不要な木が削ぎ落とされ、
自分自身の輪郭が、少しずつ浮かび上がっていく

それは、
誰かに教わるものではない。
本に書いてあるものでもない。

自分の行動と、
自分の感情から、
自分自身が掘り出すしかない、
自分だけの真実だ


今夜、塗りつぶしたマスの横に「一言」を添える

ここで、もう一度、前回の話に戻りたい。

「方眼ノートのマスを塗りつぶす」
という記録方法を、覚えているだろうか。


今夜、英単語の暗記やペン字の練習
(あるいは、あなたが今育てようとしている新しい行動)をやったら、
その日のマスを塗りつぶしてほしい。

そして、塗りつぶしたマスの横に、
今日の率直な感情を「一言だけ」書き添えてみてほしい。

「疲れた」
「気持ち良かった」
「面倒だったけど、やった」
「頭が回らなかった」

たった一言でいい。
完璧な文章じゃなくていい。
論理的じゃなくていい。

そして、この「一言」は、
ペン字の練習のように綺麗に書こうとしなくていい。

その日の自分の内側に湧いた感情を、
そのまま、紙に落とす。

字が乱れても、かすれてもいい。

その不格好な文字こそが、
今日あなたが負荷を乗り越えた
「感情の揺らぎ」のリアルな記録になるからだ。


ちなみに、手書きの文字には、面白い性質がある。

筆圧、インクの濃淡、文字のかすれ。

「言葉にできなかった感情の揺らぎ」が、
文字の物理的な質感の中に、勝手に記録されてしまう

数ヶ月後、その日のページを開いた時。

書かれている言葉は「疲れた」の一言だけかもしれない。

しかし、その文字の濃さや、
線のかすれを見ているだけで、
「ああ、あの日は本当に疲れていたな」
という感覚が、生々しく蘇ってくる。


これは、デジタルでは絶対に再現できない、
手書きだけが持つ記録方法だ。


塗りつぶされたマスの隣に、
その日の感情の言葉が並んでいく。

事実と、感情。

行動と、揺らぎ。

その反復が、あなたの中の「習慣」を強化し、
自己理解を深め、
ある日、揺るがない「凛とした自分」を立ち上げる。


今夜、ノートを開いてみてほしい。

ジャーナリングを一行書いた。

マスを一つ塗りつぶした。

その横に、今の感情を一言書き添える。

その三つの行為は、ほんの数分で終わる。

しかし、その数分が、明日のあなたを、確実に作っていく。

少なくとも、僕はそう信じている。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

店主のすぎやまです。
僕は、武蔵野美術大学 建築学科卒後、家具メーカーにて家具の商品開発や設計の仕事に従事して来ました。その後、福祉業界に転職します。
家具メーカーでは、「モノ」と向き合い、福祉業界では「ヒト」と向き合って来ました。
僕は、良いデザインは、思想・設計・意匠」が有機的に融合していると感じます。
また、そのことは、ヒトの行動にも同じことが言えるのではないかと考えるようになりました。
特に、行動を継続するためには、なぜそうするのか?という意思(思想)とやり易い仕組み(設計)が必要です。
その結果として、行為そのものに充足感が得られ、所作が美しくなる(意匠)と考えるようになりました。

『凛筆』は、万年筆という「道具」と、習慣化の「仕組み」を使って、あなたの毎日を美しく整える(デザインする)ための場所です。

13,000文字に込めた、僕のこれまでの経歴と「店を始めた本当の理由」をぜひご一読ください。

コメント

コメントする

目次