「自分にご褒美」が習慣化を破壊する?脳科学が教える挫折の罠

目次

ジョギングとショートケーキの、おかしな矛盾

書店で習慣化の本を開くと、
たいてい、こんな言葉が並んでいる。

「頑張った自分にご褒美をあげましょう」

「毎日続けたら、
 週末は好きなものを買いましょう」

「目標を達成したら、
 ちょっと贅沢な食事をしましょう」

一見、優しい言葉だ。

自分に厳しすぎるあなたを、
肯定してくれる響きがある。

しかし、僕は、ここで一度、
立ち止まって考えてみたい。


たとえば、ダイエットのために
毎朝30分のジョギングを始めた人がいるとする。

習慣化のコツとして、彼はこう決める。

「1週間頑張ったら、
 ご褒美にショートケーキを食べよう」

——少し、計算してみよう。

30分のジョギングで消費するカロリーは、
おおよそ200〜300kcal。

1週間続ければ、累計で1,400〜2,100kcal。

一方、ショートケーキ1個のカロリーは、
300〜400kcal。

そして、ご褒美は1個では終わらない。

「頑張ったんだから」と、
つい甘いコーヒーやら、
他のお菓子やらが付いてくる。

それは、そうだ。

ケーキ屋さんに行って、
“ショートケーキ1個だけ”を買って出てくるなんて、
ほぼ不可能だろう。

新作のいちごタルトやモンブランが目に入れば、
今しか食べることができないからと、
ショートケーキを差し置いて、手が伸びる。

レジ横のおからクッキーが
「僕は健康的だから食べても問題ないよ」
囁いてくる。

モンブランは、
ショートケーキよりカロリーが高い。

おからクッキーだって、10枚食べれば
ケーキと変わらないカロリーを
摂取することになる。

しかし、ケーキ屋の甘い香りが、
思考回路を停止させる。

気がつけば、1週間の努力の3割、4割が、
ご褒美の一日で消えていく。


これは、極端な例ではある。

しかし、この構造は、
習慣化におけるご褒美の落とし穴を、
見事に象徴している。

しかし、僕がいいたいのは、
そんなことではない。

「目的のための行動」のはずだったものが、
「ご褒美のための儀式」に置き換わってしまうということだ。

頑張りの中身よりも、
頑張った後の補償のほうが、
頭の中で大きな位置を占めるようになる。


念のため、断っておきたい。

ご褒美が完全に無意味だと
言いたいわけではない。

短期集中の場面では、ご褒美は確かに有効だ。

「あと1ヶ月で資格試験」
「あと3週間でプレゼン本番」

そういう、ゴールが明確で、期間が短い場面では、
自分にご褒美を約束することで、
苦しい1ヶ月を乗り切ることができる。

しかし、僕たちが今、目指しているのは、
そういう短距離走じゃない。

凛筆が伴走したいのは、3年、5年、10年と続く、
人生という長い長い旅だ。

そして、長い旅では、
ご褒美という燃料は、むしろ毒になる。

その理由を、これから二段階に分けて、
丁寧に解いていきたい。


「行為=苦痛」という、危険な刷り込み

長期の習慣化において、
大きなご褒美を設定することの、最大の危険。

それは——
「ご褒美がないとやれない=
 その行為自体は辛くて苦痛なものである」

という思考構造を、
自分の脳に、毎日、毎日、刷り込んでしまうことだ。


少し、想像してほしい。

朝のジョギングが終わって、
シャワーを浴びながら、
あなたはこう考える。

「今日も頑張った。
 週末のご褒美が楽しみだ」

——一見、健全な思考に見える。

しかし、この思考の裏側で、
脳は静かにこう学習している。

「ジョギングは、
 ご褒美がないと続けられないほど、
 辛いものなのだ」

「自分は、ジョギング自体が
 好きなわけではない」

「ジョギングは、苦痛である」


これを、毎日続けたら、どうなるか。

3ヶ月後、半年後、1年後——

あなたの脳には、
「ジョギング=苦痛」という認識が、
深く刻み込まれている。

そうなると、もう、
ご褒美なしには、走れなくなる。

そして、ご褒美の質や量が満たされなくなった瞬間、
習慣はあっけなく崩壊する。


これは、ジョギングに限った話じゃない。

「英語の勉強を1週間続けたら、
 欲しかった服を買おう」

「ペン字練習を1ヶ月続けたら、
 週末は外食しよう」

「読書を3ヶ月続けたら、
 ちょっと贅沢な旅行をしよう」

そのご褒美を約束した瞬間、
あなたの脳は——
「その行為は、本来やりたくないことだ」 と、
静かに、しかし確実に、記憶していく。


長く続く習慣を作りたいなら、
まず、この刷り込みを避けなければならない。

ジョギングが
楽しいから走る。

英語に触れること自体が
嬉しいから学ぶ。

ペンを握って紙に文字を落とすこと自体が
心地よいから書く。

——この状態に、最終的には到達しなければ、
習慣は決して長続きしない。

しかし、最初からその境地に立てるわけではない。

ここに、長期習慣化の難しさがある。

そして、ここからが、今日の本題だ。


「小さすぎる報酬」が持つ、心理学的な魔法

ここで、心理学の世界から、
ひとつのメカニズムを紹介したい。

「認知的不協和(不十分な正当化)
——少し堅い言葉だが、
習慣化を考える上で、避けては通れない概念だ。

簡単に言ってしまえば、こうだ。

人は、自分の行動と、
自分の認識が矛盾していると、
強い不快感を覚える。

そして、
その不快感を解消するために、
無意識のうちに、

自分の認識のほうを書き換えてしまう。


古典的な実験がある。

被験者に、極めて退屈な作業をしてもらう。

その後、次の被験者に
「面白かったよ」と嘘をついてくれと頼む。

ある被験者には、
嘘の報酬として「20ドル」を支払う。

別の被験者には、
わずか「1ドル」しか支払わない。

実験後、両者に「あの作業、
本当はどう思いましたか?」と尋ねた。

すると、不思議な結果が出た。

20ドルもらった人は、
「退屈な作業だった」と正直に答えた。

1ドルしかもらえなかった人は、
「意外と面白い作業でした」と答えたのだ。


なぜか。

20ドルもらった人は、こう考える。

「退屈な作業だったけど、
 20ドルもらえたから嘘をついた。仕方ない」

報酬が、自分の行動を正当化してくれる。

だから、認識を書き換える必要がない。

しかし、1ドルしかもらえなかった人は、
困ってしまう。

「1ドルのために、わざわざ嘘をつくなんて、
 自分らしくない」

「1ドル」では、自分の行動を正当化するには、
報酬が小さすぎるのだ。

そこで、脳は別の方法で正当化を試みる。

「いや、待てよ。
 もしかしたら、あの作業、
 本当は意外と面白かったのかもしれない。
 そうだとすれば、自分は嘘をついたわけじゃない。
 本当の感想を、素直に伝えただけだ」

もう一度、流れを整理すると、こうなる。

  1. 自分は1ドルのために嘘をつくほど、
    安い人間じゃない
  2. ということは、あの発言は嘘ではなかったはず
  3. つまり——あの作業は、本当に面白かったのだ
  4. 結論:自分は嘘をついたのではなく、
    本当の感想を述べていただけだった

脳がやっているのは
「嘘を正当化する」ことではなく、
嘘をついたという事実そのものを、
 認識から消去する」ことだ。

——こうして、脳は、
自分の認識のほうを書き換えてしまう。


これが、「不十分な正当化」のメカニズムだ。

そして、この心理メカニズムは、
習慣化に、決定的なヒントを与えてくれる。


大きなご褒美は、脳にこう言わせる。

「自分は、ご褒美のためにやっているのだ。
 仕方ない」

——行為への愛着は、決して育たない。

小さすぎるご褒美は、脳を困らせる。

「こんな小さなものために、
 毎日この面倒な行動をするのは、おかしい。
 ということは
 ——自分は、もしかしたら、
   この行動自体が好きなのかもしれない」——
 行為への愛着が、静かに、しかし確実に育ち始める。


ここで、思い出してほしい。

凛筆で以前ご紹介した
「行動の記録——マスを一つ、インクで塗りつぶす」
という、あの小さな儀式を。

毎日、行動を終えた後、ノートの1マスを、
ブルーブラックのインクで、
ただ一つ、塗りつぶす。

「こんなことが、ご褒美になるのか」
と思った人もいたかもしれない。

しかし、これこそが
——心理学的に見て、
  最も強力な「小さすぎる報酬」
なのだ。


ノートの1マスを塗ること。

それは、外から見れば、
ほとんど何の意味もない、
ささやかな行為だ。

報酬として、あまりにも小さすぎる。

だからこそ、脳はこう考える。

「こんな1マスを塗るだけのために、
 毎日ペン字練習を30分も続けるなんて、
 おかしい」 「報酬が小さすぎる」

「ということは
 ——自分は、ペン字練習そのものが
   好きなのかもしれない」

そして、脳は、自分の認識を、
静かに書き換えていく。

「ペン字練習は、
 ご褒美のためにやっているのではない」

「ペン字練習そのものが、
 自分には心地よいのだ」


これが、認知的不協和の解消が起こす、
小さな魔法だ。

そして、この魔法は、
大きなご褒美では絶対に起きない。

むしろ大きなご褒美は、
この魔法を打ち消してしまう。


究極のゴール——「行為そのもの」が、最高の報酬になる

ここまで、長く書いてきた。

最後に、習慣化の、続けた先に
静かに広がるもっとも深い、
そして、もっとも美しい境地について、
語って終わりたい。


「小さすぎる報酬」が、
認知的不協和の解消を通じて、
行為への愛着を育てる。

その愛着が、半年、1年、3年、10年と続いていくと
——やがて、ある日、こんな感覚が訪れる。


夜、家族が寝静まった後の、
誰もいないリビング。

万年筆のペン先を、ゆっくりと出す。

インクの、わずかにツンとした香り。

紙とペン先が擦れる、かすかな音。

深く沈んだブルーブラックのインクが、
白い紙にじわりと滲んでいく感触。

その瞬間、自分の中に、確かな静けさが満ちる。


ここに、もう、
「ご褒美」は要らない。

この瞬間そのものが、
今日一日頑張った自分への、
最高のご褒美になっている。


辛い行為を耐えて、
その後にご褒美をもらうのではない。

その行為をすること自体が、
今日一日を生きた自分への、
最高の報酬なのだ。


ここに、たどり着いた人は、
もう、習慣の脱落とは無縁になる。

なぜなら、その行為を辞めることは、
最高の報酬を、
自分から奪うことに等しくなるから。

だから、何があっても、
続けたくなる。

体調が悪い日でも、
出張中でも、
1分でいいから、ペンを取りたくなる。


凛筆が目指している境地は、ここだ。

ご褒美のために走る人生ではなく、
走ること自体が報酬の人生。

ご褒美のために書く夜ではなく、
書くこと自体が報酬の夜。


そのために、今日もまた、
ノートのマスを一つ、塗りつぶしてほしい。

それは、報酬としては、あまりにも小さい。

しかし、その小ささこそが、
あなたを、本当の「報酬を必要としない境地」へと、
静かに導いてくれる。


少なくとも、僕は、そう信じている。

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この記事を書いた人

店主のすぎやまです。
僕は、武蔵野美術大学 建築学科卒後、家具メーカーにて家具の商品開発や設計の仕事に従事して来ました。その後、福祉業界に転職します。
家具メーカーでは、「モノ」と向き合い、福祉業界では「ヒト」と向き合って来ました。
僕は、良いデザインは、思想・設計・意匠」が有機的に融合していると感じます。
また、そのことは、ヒトの行動にも同じことが言えるのではないかと考えるようになりました。
特に、行動を継続するためには、なぜそうするのか?という意思(思想)とやり易い仕組み(設計)が必要です。
その結果として、行為そのものに充足感が得られ、所作が美しくなる(意匠)と考えるようになりました。

『凛筆』は、万年筆という「道具」と、習慣化の「仕組み」を使って、あなたの毎日を美しく整える(デザインする)ための場所です。

13,000文字に込めた、僕のこれまでの経歴と「店を始めた本当の理由」をぜひご一読ください。

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