万年筆のペン先には、字幅というものがある。
EF(極細)、F(細字)、M(中字)、B(太字)。
メーカーによって表記は少し違うが、
要するに、書いた時の線の太さのことだ。
カタログを見ると、
ペン先の太さの違いが数字やアルファベットで並んでいる。
「どれが自分に合うんだろう」と迷いながら、
結局よくわからないまま、無難そうなFを選んでしまう。
そういう人が多いんじゃないかと思う。
でも、僕はこの字幅を、
単なる線の太さだとは思っていない。
字幅とは「自分に許可する、声の大きさ」である
会社では、声を荒げることは許されない。
理不尽な指示にも、「わかりました」と答える。
部下の稚拙な言い訳にも、怒鳴らずに諭す。
会議室では、本当のことを言わない。
言えない。
家に帰っても、妻の前では「疲れた」と言いにくい。
子供たちの前では、父親でいなければならない。
一日中、声を殺し続けている。
その声の行き場が、ない。
万年筆の字幅は、
その「声の大きさ」を選ぶ行為だと、僕は思っている。
細く、緻密に。
あるいは、太く、奔放に。
紙の上でだけは、自分の声の大きさを、自分で決めていい。
漢字という「緻密な建築」と、細字(EF/F)の必然性
日本語は、難しい言語だと思う。
画数の多い漢字が、ひらがな・カタカナと混在している。
「鬱」という字を、小さな手帳の罫線の中に書いてみてほしい。
29画。
縦線、横線、点、払い。
それだけの要素が、
幾つもあの小さな一文字の枠の中に、
秩序を持って収まっている。
それは、緻密に設計された建物に似ていると思う。
柱と梁、壁と開口部。
それぞれが決められた寸法と位置に収まり、
それぞれの役割を果たすことで、
建物は初めて「建物」としての美しさと強度を持つ。
漢字の一画一画も決められた位置に収まり、
それぞれの役割を果たすことで、
文字は文字としての美しさを保つ。
その一画一画の収まり方、
線と線の間の余白、全体のバランス。
それを、小さな枠の中に美しく納めるには、
極細字(EF)や細字(F)の緻密なコントロールが必要になる。
また、細字で書く時、
ペン先と紙の間に、かすかな摩擦を感じる。
カリカリ、という、あの感触だ。
これを「書きにくい」と感じる人もいる。
でも、僕はあの摩擦が好きだ。
あの摩擦は、紙という現実と、
確かに向き合っているという触覚だ。
社会のルールの中で、
丁寧に、緻密に生きる。
その感覚と、細字で漢字を書く感覚は、
どこか似ていると思う。
言葉を選んで、一画一画を丁寧に。
そうやって書いた文字には、その人の誠実さが宿る。
凛筆が細字(EF/F)を基本として推奨しているのは、
そういう理由からだ。
感情の決壊を許す。中字(M)という「解放の装置」
ただ、丁寧に生きることだけが、
人間じゃない。
僕はたくさんの「限界」を見てきた。
不思議なことに、
職場でよく文句を言う人は、案外辞めない。
愚痴をこぼし、周りに不満をぶつけながらも、
どこかで自分を保っている。
問題は、何も言わない人だ。
真面目で、誠実で、
周りに迷惑をかけないように生きてきた人が、
ある日突然、何の予兆もなく姿を消す。
「あの人に限って」と周囲が言葉を失うような人が、
静かに糸を切って、消えてしまう。
あなたの職場にも、思い当たる人がいないだろうか。
文句を言える人は、
無意識に「感情を逃がす出口」を持っている。
しかし、黙っている人は、その出口がない。
だから、溜まり続けて、ある日一気に決壊する。
丁寧に生きることは、美しい。
でも、丁寧にだけ生きていると、いつか何かが溢れ出す。
その「溢れ出す瞬間」のために、中字(M)がある。
中字のペン先は、
細字に比べてインクフロー(ペン先から流れ出るインクの量)が豊かだ。
紙との摩擦が少なく、
するすると滑るように書ける。
この感覚が、何かを変える。
インクのフローは、感情のフローだ。
細字で書く時のカリカリとした抵抗が消え、
ペン先が紙の上を滑り始めた瞬間、
頭の中で堰き止めていた何かが、一緒に流れ出してくる。
「もう限界だ」
「なんで俺がこんな思いをしなきゃいけないんだ」
「誰もわかってくれない」
誰にも言えなかった言葉が、紙の上にだけ溢れ出す。
それでいい。
ジャーナリングという手法がある。
思ったことをそのまま書き出す、
内省のための書き方だ。
(詳しくは、こちらの記事で書いている。)
このジャーナリングを中字(M)でやってみてほしい。
丁寧に書こうとしなくていい。
綺麗に書こうとしなくていい。
ただ、滑るペン先に引っ張られるように、
頭の中にあるものを、全部紙に吐き出す。
誰だって、心の奥底には黒く汚い部分を持っている。
その黒く汚い感情を否定せず、認めて、赦すんだ。
その行為を、僕は「感情の決壊を赦す」と呼んでいる。
決壊は、崩壊じゃない。
溜まりすぎた水が、安全に流れ出す場所を作ること。
それが、中字(M)という「解放の装置」の役割だ。
凛筆の結論:日常の「細字」と、秘密の「中字」
凛筆としてのスタンスを、はっきり言う。
基本は、細字(EF/F)だ。
日本語の漢字を、手帳やノートの罫線の中に美しく書くには、
細字の緻密なコントロールが一番合っている。
部下への付箋に書いた一言も、
上司への申し送りのメモも、
細字で丁寧に書かれた文字には、それだけで説得力が宿る。
ただ、それだけじゃ足りない時がある。
心がすり減りそうになった夜。
誰にも言えない感情が、胸の奥で渦を巻いている夜。
そういう夜のために、中字(M)を一本、手元に置いておいてほしい。
誰にも見せないノートと、中字の万年筆。
それだけあれば、あなたは今夜、
安全に「決壊」することができる。
細字は、社会の中で凛と生きるための道具だ。
中字は、一人の夜に、自分を取り戻すための道具だ。
二本の万年筆が、二つの声の大きさを持つことで、
大人の精神はバランスを保てる。
僕はそう思っている。
字幅を選ぶということは、
自分にどんな声を許すかを決めることだ。
丁寧な声も。
荒々しい声も。
どちらも、あなたの本物の声だ。
その声を、紙の上でだけは、
誰に遠慮することもなく出していい。
万年筆は、そのために存在している。
少なくとも、僕はそう信じている。

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