万年筆の正しい洗い方と頻度。元設計士が教える、一生モノにするための「洗浄の儀式」

万年筆は、手入れが面倒な道具。

そう思っていませんか?

確かに、使い捨てのボールペンとは違い、
万年筆には定期的に「洗浄」という手間が発生します。

手軽なカートリッジ式であっても、
この作業からは逃れられません。

しかし、
効率化ばかりが求められる現代において、
自分の手で道具を洗い、
ただ乾くのを待つ時間は、
本当に「無駄な手間」なのでしょうか。

この記事では、元・家具設計士の視点から、
万年筆に洗浄が必要な物理的な構造(毛細管現象)と、
正しい洗い方の手順を解説します。

そして、コップの水にブルーブラックのインクが
溶け出していくのを見つめる時間が、
理不尽な日常で力み続ける僕たちの心を
どう整えてくれるのか。

大人のための「洗い流す作法」をお伝えします。

目次

なぜ万年筆には「洗浄」が必要なのか?

万年筆の心臓は、ペン先だ。

そのペン先の裏側に隠れている、
もう一つの重要なパーツがある。

ペン芯と呼ばれる、樹脂や硬質ゴムでできた小さな部品だ。

このペン芯には、中央を貫くように一本の細い溝が走っている。

インク溝と呼ばれるこの溝が、
インクタンクからペン先へとインクを運ぶ主要な通路だ。

前にも書いたが、
この細い溝の中をインクが進むのは、
毛細管現象という物理法則に支えられている。

そして、多くの万年筆のペン芯の側面には、
ジャバラのような横向きの溝が何本も刻まれている。

これは「櫛溝(くしみぞ)」と呼ばれる。

インクフローを調整し、
気圧差や手の熱でインクが膨張した時に、
溢れ出ないように一時的に蓄えておくバッファの役割を果たしている。

ただし、万年筆によっては、
このジャバラが外から見えないものもある。

その場合、内部に別の形状のバッファ機構が組み込まれているか、
あるいはシンプルな設計が採用されているかのどちらかだ。

どちらにせよ、ペン芯には必ず「インクを運ぶ経路」と
「インクフローを調整する仕組み」が存在している。


問題は、インクが「水分と顔料(または染料)」から
できているということだ。

万年筆をしばらく使わずに放置しておくと、
ペン芯の微細な溝に残ったインクの水分が、
少しずつ蒸発していく。

水分が抜けた後に残るのは、
濃縮されたインクの成分。

この成分が溝の中で固まり、
毛細管現象によるインクの流れを妨げるようになる。

結果として、ペン先が「書き出しがかすれる」
「インクの出が悪くなる」といった症状を起こすようになる。

これを防ぐのが、定期的な洗浄だ。

水を通してペン芯の内部を洗い流すことで、
固まりかけたインクを溶かし、
微細な溝を再びクリアな状態に戻す。


ここで、誤解されがちな点を一つ伝えておきたい。

「カートリッジ式だから、洗浄は不要」
というのは、正しくない。

カートリッジ式であっても、
ペン先とペン芯の構造は、
コンバーター式や吸入式と全く同じだ。

インクがカートリッジからペン芯を通ってペン先に届く経路も、
同じ毛細管現象に支えられている。

だから、カートリッジ式であっても、
定期的な洗浄は絶対に必要だ。

頻度の目安は、人によって意見が分かれる部分だ。

理想を言えば、一ヶ月に一度のメンテナンスが
望ましいという話もよく聞く。

しかし、現実的にそこまで頻繁に時間を取るのは難しい。


ただし、毎日使っていれば、
内部のインクが滞留しないため、
長期間洗浄しなくても大きな問題は出にくいという見解もある。

特に、顔料インクではなく染料インクを使っている場合、
インクの流れが止まらない限り、
詰まりは起きにくいと言われている。

とはいえ、「毎日使っていれば全く洗浄しなくていい」というわけではない。

長期間使い続けると、微量ずつではあるが、
ペン芯の奥にインクの成分が蓄積していく。

その蓄積が、ある日突然、
インクフローの悪化という形で表に出てくる。


僕の見解としては、
少なくとも三ヶ月に一度は洗浄してあげたい。

あるいは、インクの色を変えるタイミングで
洗浄するというのも、自然な節目になる。

ちなみに、凛筆ではブルーブラックのインク一色を推奨しているため、
インクの色を変えるタイミングというものは基本的に訪れない。

だからこそ、三ヶ月という自分なりの節目を作って、
定期的に万年筆と向き合う時間を取ってほしいと思っている。


実践:万年筆を「洗い流す」具体的な作法

洗浄と聞くと、身構えてしまう人もいるかもしれない。

しかし、やってみれば驚くほどシンプルな作業だ。

必要なものは三つだけ。

コップ、水、柔らかい布(またはティッシュ)。

それだけで、万年筆は息を吹き返す。


① 首軸を水に浸す

まず、万年筆の中に残っているインクを
ボトルに戻すか、いらない紙などに出しておく。

次に、カートリッジ式やコンバーター式の場合は、
万年筆のボディ(胴軸)から、
ペン先がついている部分——「首軸」を回して取り外す。

吸入式の万年筆には首軸が取り外せないものもあるが、
取り外せるモデルであれば外しておくと洗浄がスムーズに進む。 

そして、コップに水(水道水で十分だ)を張り、
ペン先部分を水の中に浸す。

すると、ペン芯に残っていたインクが、
水の中にゆらりと滲み出してくる。

青黒いインクが、水を少しずつ染めていく。


② 水を吸ったり吐いたりする

コンバーターや吸入式の万年筆なら、
この工程がある。

コンバーターのつまみを回して、
コップの水を本体に吸い上げる。

次に、つまみを逆に回して、吸った水を吐き出す。

吸っては吐き、吸っては吐きを、
水が透明になるまで繰り返す。

カートリッジ式の場合は、この工程はない。

首軸を水に浸けておくだけで、
時間をかけてペン芯の内部が洗われていく。

気になる人は、首軸を水に浸した状態で、
数時間、あるいは一晩置いておくといい。


③ 水分を優しく拭き取る

水の色が透明に近づいたら、洗浄は終わりだ。

柔らかい布やティッシュで、
ペン先とペン芯についた水分を、
優しく押さえるようにして拭き取る。

ゴシゴシ擦ってはいけない。

ペン先の先端にあるペンポイントは繊細な部分だ。


この一連の作業に、複雑な道具も、
特別な技術も必要ない。

コップと水と布。 それだけで完結するほど、
万年筆の内部構造はシンプルにできている。

裏を返せば、
「自分の手で内部をリセットできる」ということだ。

使い捨てのボールペンにはない、
この「自分で手入れができる」という構造こそが、
万年筆という道具の懐の深さだと思っている。


待つことの贅沢。乾燥という「余白」の時間

洗浄が終わった万年筆は、
すぐに使ってはいけない。

ペン芯の微細な溝の奥には、まだ水分が残っている。

この状態でインクを入れると、水とインクが混ざって、
インクが薄まってしまう。

だから、完全に水分が抜けるまで、
風通しの良い日陰で休ませる必要がある。

ペン先を下向きにして、
キッチンペーパーの上に立てかけておく人もいる。

逆に、ペン先を上に向けて乾燥させる人もいる。

どちらでもいい。

大事なのは、ただ、待つということだ。


乾燥に必要な時間は、最低でも半日。

しっかり乾燥させたいなら、一晩置いておきたい。

この「ただ乾くのを待つ時間」が、
現代ではとても贅沢なものに感じる。


タイムパフォーマンスという言葉が、
当たり前のように使われるようになった。

動画は倍速で見る。

料理は時短レシピ。

移動時間はスマホでニュースを詰め込む。

すべてを効率化しようとする社会の中で、
僕たちは「ただ待つ」という行為を、
ほとんど失いかけている。

でも、万年筆の乾燥時間だけは、効率化できない。

物理法則に従って、
水分が自然に抜けるのを、ただ待つしかない。

その「待つ」という行為の中に、
実は大きな意味があると思っている。

洗浄を終えた万年筆が、机の端で静かに乾いていく。

その姿を横目に、あなたは他のことをして過ごす。

あるいは、何もしない時間を過ごす。

この「道具が休んでいる時間」は、
そのまま「あなた自身が休んでいい時間」でもある。

常に何かを生産し続けなくていい。

常に何かを考え続けなくていい。

乾燥という余白は、あなたにも休息を許してくれる。


ブルーブラックが溶け出す水面を見る夜

話を、洗浄の瞬間に戻したい。

コップに張った透明な水に、
万年筆のペン先を浸す。

最初の数秒、水は透明なままだ。

そして、じわりと、ペン先の先端から青黒いインクが滲み出す。

ブルーブラックのインクが、
透明な水の中に、ゆらゆらと溶け出していく。

その光景を、一度じっくり眺めてみてほしい。

濃い部分と薄い部分が混じり合い、
コップの底に向かって沈んでいくインク。

水面近くで煙のように広がっていくインク。

時間が経つと、全体が均一な薄い青黒に変わっていく。


僕は、この光景を見るたびに、
少し妙な気持ちになる。

その週、あなたは何を書いたのか。

理不尽な指示への、
口に出せなかった反論。

部下のミスに、怒鳴りたかった言葉。

家族に、本当は言いたかった弱音。

そういうものを、万年筆のペン先は、
全部受け止めて書き留めてきた。

そのインクが、今、水の中に溶け出している。


それはまるで、その週に飲み込んだ理不尽な言葉や、
吐き出せなかった感情が、水に溶けて浄化されていくかのようだ。

大げさに聞こえるかもしれない。

でも、僕は本気でそう思っている。


万年筆のメンテナンスとは、
機能を維持するためだけの作業じゃない。

自分の手でインクを洗い流し、
再び息を吹き込む。

乾燥の時間、道具と一緒に自分も休む。

透明な水にインクが溶けていく様を、ただ眺める。

この一連の時間が、
すり減った自分自身をリセットする「心の浄化」の儀式になる。

使い捨てのボールペンにはできない、
万年筆だけが持っている時間だ。


来週も、不条理は続く。

上司の顔色も、部下のミスも、家族の機嫌も、あなたを待っている。

でも、今夜、このコップの中で
インクが溶け出していく光景を見た後のあなたは、
少しだけ違うはずだ。

道具を洗い流すことは、自分を洗い流すことだ。

そして、それができる道具を手元に置いていることが、
大人の余裕なんだと、僕は思っている。

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この記事を書いた人

店主のすぎやまです。
僕は、武蔵野美術大学 建築学科卒後、家具メーカーにて家具の商品開発や設計の仕事に従事して来ました。その後、福祉業界に転職します。
家具メーカーでは、「モノ」と向き合い、福祉業界では「ヒト」と向き合って来ました。
僕は、良いデザインは、思想・設計・意匠」が有機的に融合していると感じます。
また、そのことは、ヒトの行動にも同じことが言えるのではないかと考えるようになりました。
特に、行動を継続するためには、なぜそうするのか?という意思(思想)とやり易い仕組み(設計)が必要です。
その結果として、行為そのものに充足感が得られ、所作が美しくなる(意匠)と考えるようになりました。

『凛筆』は、万年筆という「道具」と、習慣化の「仕組み」を使って、あなたの毎日を美しく整える(デザインする)ための場所です。

13,000文字に込めた、僕のこれまでの経歴と「店を始めた本当の理由」をぜひご一読ください。

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